全農
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力強い掛け声とともにだんじりが街中を激しく疾走するだんじり祭は、大阪南部の泉州地域に広く深く根付いています。中でも有名なのが、岸和田だんじり祭。1970年代からテレビに取り上げられるようになり、全国的にも広く知られるようになりました。

大坂城の築城が関係? 大坂城の築城が関係?

 「だんじり」とは地車と書き、神社の祭礼で用いられる山車の一種です。地車には緻密な彫刻をはじめ見事な装飾が施されています。だんじり祭の発祥は諸説ありますが、豊臣秀吉による大坂城築城との関りが深いとか。石垣などの巨岩を運搬する際の掛け声が、地車のリズムを形成したそうです。岸和田だんじり祭は300年以上の歴史を有しており、江戸時代初期に岸和田藩主が京都伏見稲荷を城内に勧請して、五穀豊穣を祈願した稲荷祭が起源とされています。

動と静、勇と美のコントラスト 動と静、勇と美のコントラスト

 岸和田だんじり祭がメディアで取り上げられると、地車が街中を疾走する勇壮な祭りとして注目を集めるようになります。一番の見どころは勢いよく街角を直角に曲がる「やりまわし」。300~1000人の引き手が息を合わせて地車を動かす様子は、祭りの華であり圧巻の躍動感です。祭りの関係者は「『やりまわし』が綺麗に決まって、その場をかけ去っていく後ろ姿は、達成感と勢いがあって美しいですね」と語ります。だんじり祭は昼の勇壮さが注目されますが、夜になると約200個の灯篭に飾られた華麗な姿で、幻想的な光景をつくり出します。このような動と静、勇と美のコントラストがだんじり祭の魅力の一つです。

地域の絆をつくる機会 地域の絆をつくる機会

 一年の始まりも終わりも「だんじり」という人は大勢います。祭りは地域社会の発展と共に進化を続けて現在まで継承されてきました。青少年の育成の場であり、住民同士の絆の形成の機会として時代に即した進化を続けています。例えば、だんじりの曳行をスムーズにする新しい技術を取り込み、曳き手減少の対策の1つに。また近年では、さまざまな地域から参加する人が多くなり、祭り参加者の多様性を受け入れた運営が行われています。だんじり祭の盛んな泉州地域では「うちのだんじりが一番や!」と、岸和田市だけではなく各市町村の各地区が、今も地元の自慢として切磋琢磨しています。

高度経済成長期後の街の発展で道路が広くなり、地車はより勢い良く疾走するようになりました。