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河内地域のワイナリーの始まり 河内地域のワイナリーの始まり

 大阪府は明治時代以降に河内地域でぶどう栽培が始まり、昭和初期には都道府県別で全国1位の栽培面積を有するまでになります。主力品種であるデラウェアは、食用として高い需要を得ていました。しかし、1934(昭和9)年に関西を襲った室戸台風が、河内地方のぶどうにも大きな被害を与えます。傷ついたり地面に落ちたぶどうは食用では商品になりません。農家の救済策として酒造許可が下りることになり、いくつかの家がワイン造りを始め、地域と農家の逆境の中から新たな道が切り拓かれました。
 この時、ワイン造りを始めた一つが「河内ワイン」です。梅酒やブランデー、リキュールなどの製造を展開し、昭和後期には100%河内産のぶどうでつくった「河内ワイン」の製造を開始しました。現在は四代目となる金銅重行さんが、ワイナリーレストランの立ち上げやラベルデザインの一新など、さまざまなアイデアと取り組みで事業を刷新。挑戦を続ける上で一番に意識しているのは、これまで共に歩んできた「地元の方々」だと語ります。

ぶどうづくり、人づくりを地域と共に ぶどうづくり、人づくりを地域と共に

 重行さんはワイナリーを継いでから社内改革を色々と手掛けました。その一方で、生産者とのつながりは祖父や父の代から変わらず続いています。大事なのは生産者に気持ち良くワイン用のぶどうをつくってもらうこと。ワイナリーで生産者と一緒にぶどうの販売会をしたり、彼らの孫が通う小学校と提携して、フィールドワークでぶどうの収穫を体験してもらったり。そのぶどうからワインをつくって成人式まで会社で保管する取り組みも何年も前からやっているそうです。「孫の世話をしていると、農家のお爺ちゃんも僕の言うことを聞いてくれるんですよ(笑)」(重行さん)。時々、生産者が「駅で河内ワインの場所を探している人がいた」と言って、軽トラでお客さんを案内してくれるそうで、そういうのが凄く嬉しいと重行さんは続けます。将来的にはワイナリーの周りをサービスエリアのように、地元の人が手掛ける色んな店が出るような場所にしたいそう。地元と一緒に階段をゆっくりと上がっていきたいと語ります。

河内ワイン\n所在地:大阪府羽曳野市駒ヶ谷1027\nWEB:www.kawachi-wine.co.jp