夏の風物詩である花火。日本の花火文化の始まりは中世に鉄砲が伝来して以降、火薬が大量に生産されるようになってからといわれます。戦いのなくなった江戸時代に全国各地へ広がり、特に徳川家の出身地である三河地方(愛知県東部)は火薬に対する幕府の規制が緩やかで、三河花火は全国的に有名となりました。
同地方の豊橋市にある吉田神社では、400年以上前から筒花火の奉納が継承されており、現在も毎年7月第三金曜日より三日間で開催される「豊橋祇園祭」で神事として花火を揚げています。手筒花火とは節を抜いた長さ1メートルほどの孟宗竹の中に火薬を詰め、外側に荒縄を巻き付けて補強した吹き上げ式の花火です。
地面に寝かせた状態で点火、ゴーという火花の音とともに手筒を起こし、両手で身体の脇に抱えます。火柱の高さは約10メートル。火の粉を全身に浴び、手筒花火から吹き出る火柱の熱さに耐えながら放揚(ほうよう:手筒花火を揚げること)する姿は祭りの華です。手筒は最後に「ドーン!」という轟音とともに筒底が抜け、その反動で跳ね上がります。これを「ハネ」といい見所の一つとなります。揚げ手は地元の人々が務めており、当地の子供達は自分のお爺ちゃんやお父さん、近所のお兄さんの雄姿を見て育ち、やがて憧れるようになるそうです。
吉田神社での手筒花火は竹を取るところから揚げ手が自ら行います。自分でつくるのは自分で責任を持つためです。先祖代々、工夫を重ね地元の人々が脈々と繋いできた灯火が今も輝き続けています。
吉田神社
創建については諸説あり。古文書には平安時代末期に当地で疫病が流行した際、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し、疫病退散を祈願したのが始まりと記されています。祭礼の花火は戦国時代に始まったと伝わり、境内には「手筒花火発祥之地」の碑があります。所在地:愛知県豊橋市関屋町2番地