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農地開拓が近代都市の礎に 農地開拓が近代都市の礎に

 千葉市は100万人近い人口を有する首都圏有数の大都市です。特に近代的なビル群や施設が建ち並ぶ東京湾沿いの埋立地に広がる幕張新都心は、年間4,300万人が訪れる国際業務都市として知られています。農業とは縁遠い印象もありますが、元々この地の埋め立ては戦後の食料増産を目的とした緊急開拓事業の一環として計画され、その後、事業目的は中小工場用地造成に変更されました。

水陸の要衝として繁栄 水陸の要衝として繁栄

 平安時代の終わりの千葉の地には、千葉荘(ちばのしょう)という皇室領の荘園が置かれました。房総半島各地からの街道が集まり、東京湾の湊を持つ水陸交通の要衝でありながら豊かな農業生産地という好立地は、中世に当地を本拠とした武士団、千葉氏の力の源泉となりました。この千葉一族は桓武天皇を先祖に持つ「桓武平氏」の一族で、平安時代末期の1126年に平常重(たいらのつねしげ)が現在の千葉市中央区に本拠を移し、「千葉」を名乗るようになりました。この「千葉開府」により、千葉市のまちとしての歴史が始まったとされています。常重の子である常胤(つねたね)は鎌倉幕府の創立に大きく貢献しました。千葉氏が礎を築いた千葉の地は、江戸時代以降、世界有数の大都市・江戸を支える食料供給地としての役割を担っており、特産物であったさつまいもの栽培をはじめ農業が盛んでした。また、人や物資の集散地としても賑わいます。

千葉開府900年、そして1000年へ 千葉開府900年、そして1000年へ

 大正時代に千葉市制が始まって以降、千葉開府800年、850年の記念事業が行われ、まちの歴史を振り返り未来について考え、人とまちの過去・現在・未来をつなぐ重要な契機として、千葉開府記念事業は重要な役割を果たしてきました。そして2026(令和8)年には千葉開府900年を迎えます。千葉市ではこの千葉開府900年を祝い、千葉開府1000年をも見据えて豊かな地域社会が実現するよう、記念する取り組みが進められています。

千葉開府900年 千の葉に時を刻んで900年 千葉開府900年 千の葉に時を刻んで900年
千葉市の市章は、千葉一族の家紋である月星紋と千葉の「千」を組み合わせたデザインです。 千葉市の市章は、千葉一族の家紋である月星紋と千葉の「千」を組み合わせたデザインです。