全農
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 日本民話の一つである「三年寝太郎」。寝てばかりいた怠け者が、突然起き出して灌漑事業などの大きな仕事を行うというのがストーリーの骨子です。日本全国でさまざまなバリエーションがある中、話の始まりと結末は同じでも、途中の展開に独自性を有するのが、山陽小野田市厚狭(あさ)に伝わる「三年寝太郎」です。物語の概要は次のようになります。

大井手(寝太郎堰)

 三年三か月寝て暮らしていた庄屋の息子「寝太郎」は、ある日起き上がり、千石船と船に積めるだけの大量のわらじを父に要望します。それらが完成すると寝太郎は厚狭川を下り海へ出て、佐渡ヶ島へ向かいました。佐渡ヶ島では金山で働く作業員に「履いているわらじを新しいわらじに無料で交換しよう」と言って、古いわらじを集めます。故郷に戻った寝太郎は、大きな桶で持ち帰った泥のついた古いわらじを洗いました。すると桶の底に砂金が山盛りになったのです。その砂金を資金に、寝太郎は厚狭川を堰き止めて灌漑用水をつくりました。それにより荒れ地だった千町ヶ原は豊かな水田に生まれ変わったのです――。

沼地が美田に変わった千町ヶ原

 千町ヶ原には堰や用水路などが現存し、今も人々の暮らしを支えています。これら一連の灌漑事業がいつ誰が手掛けたのかははっきりとした記録は残っていません。ただ、膨大な資金と労力を必要としたことは想像に難くなく、その偉業に対する人々の感謝が、寝太郎物語として語り継がれたのではないかと考えられています。江戸時代末期に長州藩が編纂した書物に、「中世・大内氏の時代、寝太郎と呼ばれていた翁が、大きな堰をつくって千町ヶ原を開いて美田とした」と記述があり、これが厚狭に伝わる寝太郎物語の原型ではないかと考えられています。江戸時代に建立された寝太郎荒神社をはじめ、厚狭駅前の寝太郎の像、例年4月に開催される寝太郎まつりなど、厚狭の人々の寝太郎への感謝は脈々と受け継がれています。

寝太郎用水路