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小さな懐石料理 小さな懐石料理

 弁当という言葉は安土桃山時代に登場したといわれます。花見や芝居見物などの携行食として発展し、芝居見物の幕間に食べる「幕の内弁当」をはじめ、日本独自の弁当文化が花咲きました。弁当の中でも、豪華で高級な献立で知られるのが松花堂弁当です。日本料理店「?兆」の創始者である湯木貞一氏がいわゆる「携行食」ではなく、茶会の昼食に出す料理として昭和初期に考案しました。小さな懐石料理ともいわれる松花堂弁当の器は、縦横25cm程度・高さ5cm程度で、田の字型の仕切りが最大の特徴です。四つのマスに違う料理をバランスよく盛り込み、茶会の点心などに用いると好評を得ました。東大寺大仏殿の落慶法要や大徳寺での法要、皇室の行事など、数多くの大きなイベントで採用される中で内容に磨きがかかり、それと同時に知名度を上げていきます。他の料理店も四つ切り箱の器を用いた弁当を「松花堂弁当」と呼んで販売するなど、日本中でその名が広く知れ渡るようになりました。

愛用され続けた機能美 愛用され続けた機能美

 松花堂弁当の名前の由来は、江戸時代初期にまでさかのぼります。石清水八幡宮の社僧で書道や絵画、茶の湯が堪能な文化人として知られた松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)がキーパーソンです。昭乗は道具箱として田の字の仕切りのある四角い箱を好んで用いていました。この箱は元々、農家が種入れに使っていた器を転用したと伝わります。このような道具箱の様式は、江戸時代を通じて文化人の間で愛用されました。昭和時代になり「?兆」の湯木貞一(ゆきていいち)氏が、松花堂昭乗の旧跡での茶会に訪れた際、部屋の片隅に置いてある四角い器を見つけ、これを料理の器として活用。松花堂昭乗に敬意を払い松花堂弁当と名付けました。

松花堂庭園・美術館 松花堂庭園・美術館

松花堂昭乗が隠棲のために建てた草庵をはじめ、3つの茶室がある「侘び寂び」の日本庭園。美術館とミュージアムショップに加え、松花堂弁当を考案した京都?兆が併設しています。

*草庵「松花堂」、泉坊書院を含む内園は、大阪北部地震の被害とその復旧工事のため、特別公開日を除き、現在ご覧いただくことができません。