全農
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生産者の声
日野菜
寺澤 清穂さん(80歳)
滋賀県蒲生郡日野町
日野菜、水稲 生産者

次の500年も続くよう種を守るのが
母の美味しい漬物の味を知る
私の使命です

 60年前の20歳の頃から日野菜を栽培しています。戦中の生まれで私が子供の頃は食糧難の時代でした。そんな中、母がつくる日野菜漬けがとにかく美味しくて、日野菜が好きになったんですよ。自分でも母の味をつくってみたいという気持ちが原動力です。
 日野菜は約550年前から日野町でつくられ始めたといわれる伝統野菜です。明治から大正時代には、ある種屋が品種改良を重ねて牛の角のように曲がった形だったのを、扱いやすい真っ直ぐな形にしたという涙ぐましい物語も残ります。そのような先人らのさまざまな苦労があって、今に伝わっているんです。以前は日野菜漬けも姿漬けで売られているのが一般的でした。近年は刻んだ状態の漬物で売るケースが増えているのもあり、以前より太くて大きい日野菜の需要が高くなっています。

日野町でしか育たない蕪  日野菜は蕪(かぶら)の一種です。蕪の原産地は地中海沿岸やアフガニスタンといわれシルクロードを渡り日本に伝来しました。土地ごとに根付いて、長くなったり丸くなったりして今にさまざま伝わります。
 蕪は春の七草ではスズナと呼ばれます。中国では諸葛菜と呼ぶそうです。三国志の大軍師・諸葛亮孔明が駐屯地で栽培して兵士の食料にしたという伝説があります。日本でも飢饉などで食料が足りない時に重宝する救荒作物として広まりました。日野菜も種をまいてから春で30日ほど、秋で45~60日で大きくなり、栄養価も高いため、日野町の人々は古くから栽培していたんだと思います。
 「日野菜は種をまいても日野町でなければ育たない」という言い伝えがあります。蕪は黄色い花のアブラナ科の作物と交雑する可能性が高い。だから、全国各地にある水菜や白菜、からし菜などとの雑種ができやすく、形が変わってしまうんですよ。

「近江日野産日野菜」を守るために  品質の維持については思い通りにいかないこともありますが、貴重な地域の特産品を後世に残していく取り組みは、緊張感があって奥深くとても楽しいですね。日野菜は地中に埋まっているから引き抜くまで分からない。でも、引いた時に美しい姿だと本当に嬉しいんですよ。米の消費が減り食生活が変わっているのが心配ですが、次の500年も続いてほしい。伝統野菜は一度消えると遺伝子の復活はとても難しいものです。だから日野菜を守るのが私の使命と考え励んでいます。


日野菜

 日野町の伝統野菜で主に日野菜漬けに加工されて食されます。食塩、砂糖、醸造酢などで漬けられる日野菜漬けが桜色に染まるのは、日野菜に含まれるアントシアニンの色素の一種が酸性になると鮮やかな赤色になるためです。近年では日野菜をサラダにして食すなど、新たな調理法でも親しまれています。80歳で地域を引っ張る現役生産者の寺澤さんに元気の秘訣を尋ねると「ビタミン豊富な日野菜を食べているからですよ」と笑って答えてくれました。