伊藤忠商事や丸紅など、日本を牽引する名だたる企業を輩出した近江商人。江戸時代に近江国に本拠地を構え、日本全国への行商で活躍しました。近江商人の商いの形態は「諸国産物廻し」と呼ばれます。各地のニーズに合った産物を他所から運んで販売し、時には市場調査から導き出した江戸向けの商品を生産して産業を生み出すなど、地域間の需要と価格差に注目する現在の商社のような商いを展開しました。近江商人の中には江戸や大坂などの大都市をはじめ各地に支店を営み、遠国で商売を広げる商家も現れます。
近江商人が当地で興った背景の一つには、湿田が多く農業では先の展望が見えない農村集落が、中山道などの街道の地の利を生かし、商売に活路を見出したという農業事情がありました。農業の副業として生産した麻織物を商品とし、領主には「農業の合間の旅商です」と説明し諸国を廻ったといわれます。
近江商人を紹介する際に真っ先にでてくるのが、「三方よし」という彼らの経営哲学です。「売り手によし、買い手によし、世間によし」を意味するこの言葉は、実は昭和時代の研究者によって言われ始めたもので、江戸時代には存在しませんでした。ただ、研究者が「三方よし」と表現するに至ったその理由は、数多くの商家の家訓に見ることができます。
積善の家には必ず余慶あり (塚本喜左衛門家 家訓) 現:ツカキグループ
商売は菩薩の業、商売道の尊さは、
売り買い何れをも益し、
世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの
(伊藤忠兵衛の言葉) 現:伊藤忠商事
近江商人が当地で興った背景の一つには、湿田が多く農業では先の展望が見えない農村集落が、中山道などの街道の地の利を生かし、商売に活路を見出したという農業事情がありました。農業の副業として生産した麻織物を商品とし、領主には「農業の合間の旅商です」と説明し諸国を廻ったといわれます。
近江商人を紹介する際に真っ先にでてくるのが、「三方よし」という彼らの経営哲学です。「売り手によし、買い手によし、世間によし」を意味するこの言葉は、実は昭和時代の研究者によって言われ始めたもので、江戸時代には存在しませんでした。ただ、研究者が「三方よし」と表現するに至ったその理由は、数多くの商家の家訓に見ることができます。