歴史や社会の教科書で日本四大公害の一つとして学ぶ水俣病。その舞台となった水俣市では、体験から得た教訓を活かし、約30年前から環境問題と向き合う取り組みを実施してきました。現在では、環境からさらに枠を広げたSDGs未来都市として、新たな価値や行動の創出に力を入れています。
水俣市は1992(平成4)年に日本で初めての「環境モデル都市づくり宣言」を行いました。国内でいち早くごみの高度分別をはじめ、水俣オリジナルの家庭版・学校版などの環境ISO制度や環境マイスター制度など、他にもさまざまな取り組みを立ち上げます。これにより、リユースやリサイクル、森づくりなどを通じて、地球温暖化防止活動や環境保全活動を行う産学官民の体制が築かれることになりました。
一連の取り組みの中で市民に大きく関係するのが、ごみの高度分別です。宣言を行った1992年は「燃えるもの」「燃えないもの」の2分別でしたが、翌年に20分別(現在23分別)となり本格的な分別収集が開始。市内に約300か所のごみステーションが設置されます。ごみの分別は焼却コストを減らす効果があります。また、資源ごみの中には有価物として換金できるものも。水俣市では換金できた分は各自治会へ還元しており、地域維持に役立てられています。他にも、焼却コストが大きく家庭から大量に出る生ごみ対策として、土の中で生ごみを分解する処理機「キエーロ」を無償で希望する市民に貸し出しています。
これほどの多種にわたるごみの分別を可能とするのが、市内にある環境やリサイクル関連企業が集積した産業団地です。ビンのリユース工場や家電のリサイクル工場などを、市行政が中心となり企業を誘致して建設しました。「総合リサイクルセンター」と呼ばれており、市民の生活を支える新たな産業を生み出す場ということから「生活支援工房」というサブネームがつけられています。
このような取り組みが高く評価され、水俣市は国内外の多くの自治体や環境団体のモデルとなり、多くの関係者が視察に訪れるようになります。そして宣言をしてから17年目、2008(平成20)年に初めて国が認定する「環境モデル都市」の6自治体の一つに選ばれました。さらに、2011(平成23)年には環境NGOが主催する「日本の環境首都コンテスト」で、国内唯一の「日本の環境首都」の称号を獲得するに至ります。
水俣市の環境モデル都市の推進事業は、市民の協力と行動が不可欠な取り組みです。特に、ごみの高度分別では各地域に担当職員が出向き丁寧に何度も説明を重ねたといいます。そこまでしてこの事業を進めた理由の一つは、市民の「もやい直し」でした。もやいとは、漁師がロープで船と船をつなぎとめることを指します。水俣市はその昔、公害の原因となった工場の企業城下町であり、家族も含めると関係者は人口の半分以上でした。そのため、市内の人間関係に深い溝ができたのです。環境モデル都市への道は、同じ目標に向かって行動する中でコミュニケーションを生み出し、市民のきずなを再生する目的もありました。
水俣湾の水銀ヘドロを処理するために生まれた広大な埋立地には、53haもの敷地面積のエコパーク水俣が整備され徐々に拡張されていきました。整備が行き届く九州屈指の広大な園内は、各種運動施設が揃うスポーツ大会の開催地としても知られます。また、バラ園や物産館、すぐ近くに水俣病資料館などもあり、水俣市の観光拠点となっています。憩いの場所として週末には多くの市民が集うなど、新しい水俣市の象徴の一つとして多くの交流を生み出しています。
現在の水俣市の取り組みは、意識を環境からさらに広げ持続可能な地域自治体を目指した活動へと深化しています。食の安全や健康、学び、人と人との連携などの方針を打ち出し、社会基盤を強化する政策を実施。2020年には国の「SDGs未来都市」に選定されました。過去の経験を活かしながら、より良い水俣を次の世代に残せるよう、背伸びせず、リアルで水俣ならではの取り組みを広げています。