九州のほぼ真ん中に位置する山都町の旧・清和村。この地区では170年前から受け継がれる人形浄瑠璃芝居「清和文楽」が今も農業従事者らの手で守られています。人形浄瑠璃とは、太夫の語りと太棹三味線に合わせて人形が演じる人形劇で、江戸時代に成立しました。文楽とは大阪で誕生した人形浄瑠璃の系譜の一つを指します。
江戸時代の嘉永年間(1850年頃)に、淡路の人形芝居の一座が清和村を訪れます。村人の中に浄瑠璃の上手な君大夫という人物が、数人の仲間と一緒にこの一座から人形の操り方を習い覚えたそうです。その後、忙しい農作業の合間に修練を重ね、人形を買い集めていくうちに清和文楽が形づくられました。清和文楽を構成する太夫、三味線奏者、そして人形遣いの三業(さんぎょう)のそれぞれを村人達が担当。村内の神社や田畑に組んだ簡易舞台で芝居を上演し、山里の娯楽として発展していきます。
旧・清和村と同じように江戸時代に人形浄瑠璃が伝わった地域は数多くありましたが、現在まで当地に残るのは「農業が盛んだから」と言われています。今も多くの農業従事者が清和文楽の技を磨き、人と人形が一体となりさまざまな物語を演じます。