全農
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 食後に口内を清潔に保つための歯磨き。その起源は大変古く、世界では紀元前から歯磨きの存在が書物などに記録されています。縄文・弥生時代の遺跡から虫歯の痕跡が発見されている日本では、小枝を使って歯磨きをする作法が、仏教と一緒に伝わったという説があります。中国で「楊栁(ヨウリュウ)」の木が材料として用いられていたことから、加工した小枝は楊枝と呼ばれるようになったそうです。
 江戸時代の頃には、大衆にも楊枝を使った歯磨きが定着していたと考えられています。大消費地・江戸に暮らす人々の口内衛生を保つため、江戸近郊では楊枝の生産が盛んになる地域が出てきます。その一つが旧・久留里町(現・君津市)を中心とする地域です。一説には、生活に困窮した久留里藩の武士が内職で楊枝をつくったのが始まりと言いますが定かではありません。この地域では明治から大正期にかけて最盛期を迎え、楊枝づくりの家が500軒もあったと伝わります。材料は黒文字というクスノキ科の落葉低木の枝です。殺菌や抗菌の効果を有するといわれ、黒い樹皮に香りがあり、古くから日本各地で楊枝に使用されていました。
 やがて技術が練達してくると、さまざまな形状の楊枝細工が誕生するようになりました。中には女性の帯留めをヒントにした飾り楊枝も出てきます。楊枝問屋の森家では飾り楊枝を販売し人気を得ます。後にその楊枝は久留里城の別名を冠して「雨城楊枝」と名付けられました。戦後は楊枝生産の機械化が進み、上総の黒文字楊枝は日用品ではなく、菓子楊枝をはじめとする趣向品やお土産品として利用されるようになります。現在では、地域に根付いた伝統工芸品として千葉県の各地に広がり、技術の継承活動が行われています。