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井戸掘りの歴史 井戸掘りの歴史

 暮らしや農業に欠かせない水を確保する方法の一つとして、井戸掘りの技術は時代と共に磨かれていました。日本の江戸時代によく見られたのは、一定の深さまで人が穴に入って掘り下げる「掘り井戸」です。この方法は多額の費用と人員を必要とし、そして危険を伴うものでした。江戸時代後期には、地表から地中に鉄棒をつなぎ合わせて突き入れる「大坂掘り」という方法が編み出されていましたが、30~50mほどの掘削がやっとで、やはり多くの人員を必要としました。

掘り井戸づくりの様子 掘り井戸づくりの様子

上総掘りの誕生 上総掘りの誕生

 千葉県南部(上総国)に大坂掘りの技術が伝わると、当地の人々は技術に改良を加えていきます。幾人もの知恵と工夫が積み重ねられ、大幅な進化を遂げて明治20年代に上総掘りの道具と理論が成立しました。上総掘りは一気に500m以上の掘削を可能とし、人員も2~3人で済むようになりました。掘削深度、経費、安全性、技術習得面などからも画期的だったため全国に広がります。

ホリテッカン、スイコ、タケヒゴ、ヒゴグルマ、ハネギ、シュモクの一連の用具と、粘土水を利用する方法が上総掘りです。 ホリテッカン、スイコ、タケヒゴ、ヒゴグルマ、ハネギ、シュモクの一連の用具と、粘土水を利用する方法が上総掘りです。

上総で技術が発達した要因 上総で技術が発達した要因

 君津市やその周辺は河岸段丘が発達し、川は谷底の低い場所を流れています。そのため、水田を作るためには低い川から水を汲み上げるか、上流で川をせき止めて用水をつくるか、雨水をためた堰をつくるか、井戸を掘るしかありませんでした。地層を見ると千葉県南部は東京湾へ向かって斜面を構成する単斜構造で、地中の水が圧力を受けた状態の帯水層(たいすいそう)が幾重に存在します。深い帯水層まで掘削さえすれば、汲み上げなくても質・量ともに安定した水が自噴するのです。井戸をつくりやすい地質構造と、水を求める住民の願いが井戸掘り技術を発展させたといえます。

君津市やその周辺 君津市やその周辺

温泉や石油、天然ガスにも利用 温泉や石油、天然ガスにも利用

 上総掘りは当時の東京大学で、アメリカ式の井戸掘りと性能が比較されるなど、関係者の間で大きな注目を集めます。新潟県や秋田県では石油の掘削に利用され、日本最大の油田である秋田県の八橋油田開発のきっかけをつくりました。千葉県茂原市周辺で自噴する天然ガスの産業の始まりにも上総掘りが深く関わっています。また、別府や熱海、鳴子など、さまざまな温泉地でも導入。別府市史には「上総掘り無くして泉都別府はなかった」と書かれています。このように、農業用水の確保以外にも転用され、近代日本の発展を陰で支えたのです。

Thanks Kazusabori Thanks Kazusabori

海外での活躍 海外での活躍

 昭和40年頃には、ボーリングマシンの進化と人件費の上昇、農地の灌漑方法も川から水を揚げる方法が進み、上総掘りは姿を消しつつありました。そんな中、地元の郷土史家や博物館の職員が道具や資料の収集を開始。当時の千葉県立上総博物館で警備員をしていた近藤晴次さんが、上総掘りをしていたことが分かり、その道具や技術の調査も行われました。後に近藤さんは国際協力機構での指導や、海外での井戸掘りなど、アジアやアフリカなどへの支援活動に貢献。上総掘りは21世紀に入っても、マサイ族の村で井戸を完成させるなど各地で活躍しています。

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現在も続く自噴井戸の恩恵 現在も続く自噴井戸の恩恵

 君津市を発祥とする上総掘りは現在、木更津市で道具が保管され、袖ケ浦市にある団体などで技術の継承が行われています。同地域の各所に自噴する井戸は明治時代からの先行投資であり、自噴する水を得たことで水田が増え、多様な農業が可能となりました。また、当地にある自噴井戸の無料水汲み場を毎日多くの住民が利用するなど、上総掘りは地域の暮らしに今も恩恵を与え続けているのです。

自噴井戸 自噴井戸