富山県を代表する郷土料理「ます寿し」は現在の富山市、神通川の下流域で育まれた川魚の食文化から誕生しました。当地には平安時代以前から、春に神通川を遡上する一番鱒を塩漬けし市内の神社に供える風習がありました。供えた塩漬けの鱒はご飯と混ぜて「なれずし」に加工され、神社を訪れる京都の勅使のお土産に。これがます寿しの遠い起源とされています。
現在の姿に近くなったのは酢飯が広まった江戸時代。神通川の鮎と越中米による押し寿司を食通の8代将軍・徳川吉宗が絶賛するなど、富山城下の川魚の押し寿司は庶民に愛される名物になります。当時、観光名所だった神通川の舟橋のたもとにある茶屋では、川魚の押し寿司に舌鼓を打つ旅人が多く見られました。
ます寿しの特徴である曲げ物の容器が用いられたのは明治時代末期から。元々は富山の売薬事業で軟膏などを入れる容器として重宝されていましたが、ブリキ製の容器の登場で大量に余るようになります。そこに鱒の押し寿司を敷き詰めてお土産品として販売すると駅弁で全国的に大ヒット。この影響もあり鮎より鱒が次第に一般化していきます。
昭和中期以降は神通川のサクラマスの漁獲量が落ち、多くのます寿し店は他産地の鱒を用いるようになります。この転機に各店が試行錯誤して店ごとの味わいを追求し「現在のます寿し」が生まれました。富山県内でます寿しを製造する店は約50軒。伝統的なものから創作系まで多様な進化を続けています。地元の人々は食べ比べを楽しみ「わたしは〇〇派」などとお気に入りがあるそうです。
日本一の大舟橋として知られた神通川の舟橋。舟を川に浮かべた橋を行き交う人や、川で漁をする人、寿し店(右手前)などが描かれています。