agrifuture vol.48
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P.03山本大悟さん(31歳)高知県土佐市宇佐町ピーマン生産者半人前の私に、地域の将来を託してくれた先輩方の想いに応えたいんです 私たちは、JAの生産部会で決めたガイドラインに沿って、土作りを丁寧に行い、農薬を抑えるための取り組みにチャレンジしています。例えば、害虫駆除にも天敵昆虫を用いているんですよ。アブラムシに対してはテントウムシをハウスに放すといった感じで、虫達に働いてもらっています。天敵昆虫を捕獲するために、僕達は虫かごと網を手にして野山や河原へ出かけるんですよ。日本の農薬は海外に比べて非常に安全ですが、使用量を更に抑える方が、生活者の方にも安心してもらえるでしょうからね。 最近のピーマンは昔ながらの青々としたイメージとは違うものが多いですね。僕達が栽培するピーマンも苦味の少なさが一つの特長です。昔では考えられなかった子供用の甘いピーマンなどもありますが、僕が個人的に好きなのは、小さい頃に食べた祖父母や両親が作っていた苦味のある品種です。子供の頃の記憶って大人になっても残るもんですね。 ここ土佐市宇佐町はとても環境の良いところで、県外へ出ても戻ってくる人が多い場所です。帰郷してピーマンを始める人を学生時代に見かけたこともあり、どうせ戻るなら早い方が良いと決断し、高校卒業後に農業を始めました。就農当時は遊びたい盛りでしたから忙しい農家になることに迷いもありましたが、今になると良い決断だったなと思います。就農して10年以上が経ち、ようやくピーマンのことが分かるようになって、今はとても面白いんですよね。 父親が17歳の時に亡くなったこともあり、僕は農業を祖父に学びました。それはもう、とても厳しかったですよ(笑)。今も色々と指導されますね。祖父にしてみると、自分が元気なうちに独り立ちさせたいという思いが強いのでしょうね。そのおかげか、2年前30歳にして、周囲の方々からJA生産部会の部会長に推していただきました。僕自身「こんなに若くていいのか?」と思ったくらいだったので、祖父からは強烈に反対されましたね。そんな祖父を説得しに来たJA職員と2人で祖父の前に座らされて「半人前を部会長とは何を考えているんだ」と怒られました(笑)。それでも、JA職員や周囲の先輩農家が「地域の未来のために、若い者に経験させて育てるべきだ」と祖父を何度も説得してくれたそうです。 そんな背景から、日々、畑に入るたび背筋の伸びる思いです。50名以上の部会員の代表を務めるわけですし、生産部会の将来あるべき姿を今から創っていかなければなりません。まだまだ勉強不足を痛感することも多いのですが、何とかやれているのは周囲の先輩農家が助けてくれるからです。この地域は世話焼きの人が多いんですよ。人も良いし海も山もあって、僕はこの場所が好きですね。もっと若いピーマン生産者を増やして、作付面積も広げて、土佐市がピーマンで有名になるように働いていきたいと思っています。 やはり、若い生産者がいると地域に活気が出ますし、他の若い人も「自分と歳の近い人がやっているんだったら」と参入する動機にもなります。振り返ると、自分の就農時も同年代の存在は心強かったですね。土佐の男は酒の席が好きなので、同年代の生産者と飲みに行く機会もあるのですが、不思議なことに仕事の話はほとんどしませんね。先輩方との席で「こんな時はどうするんですか?」などとピーマンの話をするのとは好対照です。仲間でありライバルであるという両方の意識があり、お互い自立し合って頑張っていこうという暗黙の了解があるんでしょうね。虫かごと網を持って祖父の想いと周囲の願い土佐市のピーマンを有名に
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