AGRIFUTURE_Vol.46
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P.10JAさいたまの文化・名所 氷川神社と氷川女體神社は、太古の昔に見沼のほとりに創建されたと伝わる。見沼には水の神である竜神が眠ると考えられており、沼周辺に住む人の信仰を集めていたという。見沼が干拓され見沼田んぼができる前は、氷川神社を男躰宮、氷川女體神社を女躰宮と呼び、両社の神が「神沼(みぬま)」を往来する御船祭りが行われていた。旧来は、両社の中間にある中山神社を合せた三社一体の大規模な社だったという。氷川神社・氷川女體神社大宮の地名の由来となった大いなる宮氷川女體神社埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1 東西に配された2本の見沼代用水と、中央を流れる芝川を結ぶ閘門式運河(こうもんしきうんが)。見沼田んぼと見沼代用水が誕生した4年後の1731年に創設された。堀全体で4つの関(閘門)を持ち閘門式運河では日本最古の部類に入る。通船に使われた船は長さ11m、幅2mの「ひらたぶね」で60kgの米俵を100~150俵積んだという。昭和初期からは使用されていないが、現在でも祭事で船を通すイベントが行われる。見沼通船掘内陸水運で重要な役割を果たした運河埼玉県さいたま市緑区大間木・下山口新田 盆栽の聖地・大宮盆栽村に程近い場所に2010年3月に開館した世界で初めての公立の盆栽美術館。日本を代表する名品盆栽約100点をはじめ、盆器、水石、絵画資料、民俗資料などを収集・公開しており、盆栽の歴史や文化を学ぶことができる。 さいたま市大宮で盆栽が盛んになったのは1923年に起こった関東大震災以降である。江戸時代に東京の団子坂付近に大名屋敷などの庭造りを行う植木職人が数多く住んでおり、明治以降になってからは盆栽専門の職人も誕生したが、震災を機に、盆栽育成に適した土壌を探し求めて大宮に移り住むこととなる。1925年には自治共同体として大宮盆栽村を形成。邸内に盆栽を10鉢以上持つこと、門戸を開放すること、垣根は生垣にすることなど、今で言う建築協定を設けるなど盆栽の発展に努めた。大宮の盆栽職人たちの活動などにより、盆栽は世界で「BONSAI」と呼ばれ、現在では日本を代表する文化芸術として知られるまでに発展。大宮盆栽村は現在も6つの盆栽園を開園しており、名品盆栽の聖地として国内外から多くの愛好家を集めている。さいたま市大宮盆栽美術館・大宮盆栽村「BONSAI」の美と心を国内外に発信 平安時代中期に編纂された「延喜式」にも調神社として記載されている由緒ある神社。「調」とは古来、都に収めた貢物のことで、この場所に建てられた倉が調神社の前身になったと考えられている。この神社に鳥居がないのは、調物の運搬の妨げにならないようにした名残である。中世以降は「調」が「月」と同じ読みであることから月待信仰と結びつき、境内には狛犬の代わりに狛兎が祭られるようになったという。調神社狛兎が守る鳥居のない神社埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25つきじんじゃにょたい氷川神社埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407さいたま市大宮盆栽美術館 埼玉県さいたま市北区土呂町2-24-3さいたま市大宮盆栽美術館所蔵 黒松大宮盆栽村 埼玉県さいたま市北区盆栽町
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