AGRIFUTURE_Vol.45
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 津軽地方を含む青森県では、国内最大級の縄文集落・三内丸山遺跡をはじめ縄文時代の遺跡が数多く確認されています。遺跡から日本各地の産物が出土しており、古代青森は交易の盛んな文明都市だったことは早くから知られていました。 しかし、東北地方への稲作の伝播は鎌倉から室町時代であるという説が戦後に至るまで学界の常識でした。この説を覆したのが1981年に青森県南津軽郡田舎館村で発見された垂柳遺跡です。弥生時代に作られた650枚以上の水田跡と、稲作に従事したと考えられる大人から子供までの多数の足跡が見つかりました。 この時代における本州最北の場所での稲作は大変な労力を要したでしょう。垂柳遺跡からは鉄や青銅器は出ておらず、農耕具はまだまだ未熟だったと考えられます。また、水田一枚の面積は小さく区部分けされています。これは寒い気候によって水が冷えすぎないようにした工夫ではないかとも言われています。この時代の津軽人が創意工夫を凝らした一つが、全国的にも珍しい蓋の土器です。貴重な穀物を効率的に保存するように編み出したのでしょう。他にも垂柳遺跡からはアイヌ民と深い関係があったことを示す、熊の形をあしらった道具なども出土しており、西日本とは異なる独自の文化を築いていたことを想像させてくれます。*アイヌ民は熊を神として崇める文化がありました。1981年に東北地方で始めた発見された弥生時代の水田跡の一部を、そのまま保存・展示しています。弥生時代の地面の上を歩くことができるほか、水田に残った足跡や出土した土器や石器などの遺物を展示しています。青森県南津軽郡田舎館村大字高樋字大曲63田舎館村埋蔵文化センター田舎館村博物館太古のじょっぱりが本州最北の地で実らせた「稲穂」津軽人は自分達の気質をしばしば「じょっぱり」と表現します。「じょっぱり」とは津軽弁で頑固者の意味ですが、一つのことに打ち込み、粘り腰や反骨精神で独自の道を切り開いていく人という敬愛と称賛の意味が込められています。アイヌ語を織り交ぜた方言をはじめとする津軽独自の文化や豊かな大地は、この地で汗を流した「じょっぱり」達によって築き上げられました----。津軽で受け継がれし郷土を磨き輝かせるじょっぱり精神

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